【筑紫野市】ここが博多と繋がっていたの!? 二日市に残る入り船跡は苦労と挫折の運河

西鉄二日市を出て県道35号線を六反へ向かう途中、鷺田川にかかる橋があります。この場所は入り船跡と呼ばれ、はるか昔は船着き場だったことがありました。

文献によると、寛文3年(1663年)に、現在の朝倉市杷木から二日市を通り、博多川端町まで水路を開き物資を運ぶ計画があったとのこと。当時の技術では困難だということで中止になりました。

ところが別の文献に、二日市から博多川端町までは運河が完成していたという記録が残っており、朝倉市杷木から二日市までの工事は完成しなかったが、二日市から博多川端町までは運河が開通していたと思われます。

悲しいことに、苦労して開通させた運河は、水量の不足や改修費、人件費がかさみ、わずか半年足らずで利用を中止したとの記録も残っていました。こんなところから博多川端町までよく掘ったものだと感心すると同時に、半年で利用中止になるなんて、苦労が報われず不憫に感じますね。

この入り船跡がある鷺田川は、橋の手前でちょっと変わった形をしていますので、近くに行かれた際は当時の苦労を偲びながら眺めてみてください。
入り船跡はこのあたり↓





