【朝倉市】その昔、朝倉には都(みやこ)があった!? 謎に包まれた朝倉橘広庭宮跡

朝倉には、どれだけ重要な場所だったのかと驚くような史跡や遺跡がたくさんあります。こちらは「朝倉橘広庭宮跡」と言われている場所に立つ石碑です。

由緒書によると、660年に百済が唐と新羅に滅ぼされ、斉明天皇は、百済救援を決意し661年に今の朝倉市に都を遷され朝倉橘広庭宮を作られたと言われています。

朝倉橘広庭宮跡への入口横には年季を感じる朝闇神社があり、雨上がりだったこともありますが、独特な空気をまとっていました。

坂道を2~3分上ると、朝倉橘広庭宮跡が見えてきます。

石碑の裏側にも神社。金比羅宮と書かれています。前後を神社が守っているのでしょうか。大切な場所と認識されてきたんですね。

ところが、本当にこの場所に朝倉橘広庭宮跡があったかどうか正確にわかっていないそうなんです。朝倉市の渡辺毅市議会議員さんに伺ったところ
他に、恵蘇八幡宮の辺りと、杷木の志波の辺りの3説があり、定まっていません。以前、九歴が調査を行いましたが、途中で止まっているような状態です。
とのことでした。

恵蘇八幡宮本殿裏に円墳2基があり、これを朝倉橘広庭宮で崩御した斉明天皇を仮に葬った陵墓とする伝承があり、ここも朝倉橘広庭宮跡の可能性があるとのことです。

いつか調査が進み、朝倉橘広庭宮跡がどこにあったのかはっきりするのかもしれませんね。それまで個人で謎解きを楽しみましょう♪
朝倉橘広庭宮跡の石碑はこちら↓






